細かい人に敵意を持ってしまった話

ここ最近だけ

仕事で細かいことを

指摘されることが続いている。

 


だいたい、

気づいていたけれど「まぁいいかー」

 


という自己裁量の甘さによるものが多い。

 

 

 

私は子供の頃は

けっこう細かいところが気になるタイプだったし、

 


突き詰めたらそれもできるんだと

思うんだけれど、

 


人に対する厳しい目が育ってしまうと、批判精神が強くなって生きづらいなと思ったから

 


片目をつぶる癖をつけていった結果が

今だと感じる。

 


極地にいっちゃうんだわ。

0か100かになりがち。

 

 

 

元々は繊細で神経質。そんでもって未だに完璧主義傾向ではある。

 


→これだと生きづらいから気にしないように、ゆるっとしようとしてきた。

 


→元々細かいからちょっと他の人のゆるさが「気づかないんかなー?気にならんのかなぁー」となりちょっとしんどい。(プライベート)

 


→仕事で指摘が入るたびに、細かい人の気持ちは分かるけどしんどいわ(数日前の私)

 

 

 

 


「細かい人」を批判する=

自分の1要素を批判しているし、

 


「ゆるい人」を批判する=

自分の1要素を批判しているようなもの。

 


「すべて自己否定じゃない?」

 


と気づいた。

 

 

 

もちろん、

神経質さにも程度があるし、

ゆるさにも幅があるし、

 


それは人それぞれだし、 

 


自分より「極」にいる人の場合はどうしても

 

 

 

「もうちょっとちゃんとしてほしい。適当すぎじゃない?」

 


「もうちょっと目をつぶってほしい。生きづらくないんかな。だって、自分にも厳しいってことやからさ。人が離れていってしまうよ(私の主観)」

 


と思ってしまうわけだ。

 

 

 

プライベートはゆるい人が多くて、

仕事では細かい人に出会ってしまうのは、

 


私がゆるいからだとは思う。

 

 

 

(神経質な人は私とわざわざプライベートで付き合おうとならないだろうし、私も避けるからだ)

 

 

 

なんか最近指摘されたら

やけにイラっとするわーと思っていたのは

 


自分の細かさを認めていなかったからだ。

 

 

 

「ゆるい人」たちに振り回されて、

不満を持つ自分を

 


「そんなこと言うなよ。心が狭い」って叩いていた自分がいたから、

 


違う形で指摘されることが続いていたんだなと思った。

 

 

 

結論、どっちもあるし、

自分なりに幅があるなと思った。

 

 

 

 

 

 

気づいてるのに「細かいなって思われるのはなぁー」と思いながらスルーしていたところは

 


いちいち気づいて対応したほうがよさそうだ。

 


ただし何か相手に指摘したい時に

「言い方は気をつけよう!」と思う。

 


たぶん、

ミスを指摘されたことに対してというより、

言い方にとげがあるなと思ったからだなと感じた。

 

 

 

「言い方がきつく感じてしまうし、いちいち指摘されたらしんどいよなぁーだから人が辞めてしまうんやろうな。そうなって困るのは自分たちなんやから。まぁでも、そういうのが必要な仕事をされてるんかもなぁー」

 

 

 

「ミスが許されない環境の仕事されているんだろうから必要なんやと思うけどさ。無闇に愛想よくしたらあかんとかあるんかなぁー。大変な仕事してはるんやわ。私は働けない環境だわ。適材適所ってあるよねー」

 

 

 

なんて心慰めておさめていたけれど。

 


要は、細かい人が…というより

 


「言い方がきつい人が苦手」ということだった。

 

 

 

人と人とのコミュニケーションだから、

「不快」を感じてしまったら

 


どんだけ正論でも

どんだけ向こうが正しかったとしても

 


心理的に受け入れたくなくなるし、

攻撃返したくなるものなんじゃないかな?と。

 


コミュニケーションって難しいけれど、

大事だなぁーと改めて思ったし、

 


どれもこれも自分がある要素は「ある」と認めて、よいように使っていきたいなと思った。