「まぁ、できるけど…」の裏にあったもの

最近、

目が覚めるのが早い。

夜明けとともに…

 


(おじいちゃんか!ってなる。)

 


熟睡できているっていうことを信じている。

 

 

 

今朝起きて思ったこと!

 


自分の曲げられないところを

人に合わせて変えようとするから

 


しんどくなるんだ!

 


ということ。

 

 

 

しかも、

その曲げられないところを自覚していないから、無意識に合わせようとして

 


モヤモヤしてしまうわけなだと思った。

 

 

 

基本的に

人の意向に沿いたいとなりがちなタイプでもあるから、

 


まぁー

軸がない時は、大抵自分の首を絞めててもやってしまうっていうのが

 


私のスタンダードだった。

 

 

 

仕事が苦しくなる時、

人間関係がしんどくなる時は

 


その状態になっているからだと思う。

 

 

 

昔は、首を絞めてて人から言われても

 


首を絞めていて

 


呼吸困難になりかけて

やっと自覚することが多かった。

 


頑なに自分のことは二の次にするのが当たり前だと思っていたし、

 


それなりに

ご飯だって食べてるし、寝てるし、休んでるし…

 


最低限できている=自分は大切にできている

 


と思っていたんだろうな…

 

 

 

今はさすがにすぐ気づいて、

自分の首を絞めない選択をできるようになってきたと思う。

 


私は2つ仕事をしていて、

次の仕事から次の仕事の合間は「休憩」と思っていたのだけれど、

 


最近それがどんどんなくなってきていたのだった。

(仕事が増えて)

 

 

 

それがお客さんの都合との兼ね合いで

また減りそうになって、

 


「まぁ、この条件ならいけないことはないですけど…(でもお昼ご飯食べれなくなるのはきついです)」と言っていた。

 

 

 

 


お客さんの意向はわかるから

合わせたいけれど、

 


自分の働き方を捻じ曲げてまでは

合わせられないし、

 


上司の提案は

まぁ、できるけど(やりたくないな)と思っていたのだ。

 

 

 

昔なら、

身を削ってでも「やります!」と言っていたと思う。(身を削ってる感覚はなかっただろう)

 


でもそれをすると、

 


最終的に「仕事が嫌だ!辞めたい!」になっちゃうのもみえていたから

 

 

 

折衷案を提示してみたところ、

それが許されて…

 


私も気持ち的に楽になった。

 

 

 

昨日は慣れていなかったから違和感がすごかったけれど、こなしていけばいけるかなと思った。

 


最初の提案をOKしていたとすると、

 


たぶんこれからの暑さを考えたら

体調不良になっていたんじゃないかな。

 

 

 

なにげなく提案してみたけれど、

ほんと言ってみてよかったなと思ったし、

 


言わなかったら

 


3ヶ月後の仕事辞める率がとんでもないことになっていたわ

 


と思った。

 

 

 

ちょっとした「運命の別れ道」だったなと気づいてぞっとした。

 

 

 

きっとなんでもそうだけれど、

 


なにげない選択一つで

 


未来が変わっていってるんだろうな

としみじみ思った。

 

 

 

今回の仕事の件は、

それまでに数十回

 


過ちを繰り返していたからこそ、

やっと気づけるようになったんだなと感じた。

 


心のざわつき…

「まぁできないことはないけど」と思った後の、

 


いやーなかんじ(感覚)

 


あれは進んではいけないものだったんだなと感じた!

 

 

 

仕事は分かるようになってきたけれど、

 


人間関係は未だにやっちまう(笑)

(特に恋愛や思い入れのある人に対して)

 

 

 

これもトライアンドエラーだなぁー

 


でも確実に、

10年前よりも経験値を積んで、

 


成長はしているんだなと実感した。

 

 

 

そして、

許容量が自覚しているより広いんだろうなとも思った。見積もりが甘いのもある。

 


(大抵のことを、「まぁ、いけるか」と思ってしまう。)