変わり者が社会で生きやすくなる方法

みんなそれなりに

個性はあると思うんだ。

 


それを出してるか隠してるかの違いだと私は思っている。

 


そんでもって、

隠してても滲み出ているものこそ

純粋なその人の個性だなと思う。

 

 

社会に出るとどうしても

世間的によいとされていることや

 


主流に合わせないといけないような感覚に陥る人が多いんだろうな。

 


私もその1人だ。(今でもそう)

 

 

 

「和」や「協調性」を持つために、

生きやすいように

自分を変えていくんだと思う。

 

 

 

それをやり過ぎた時、

 


本当は

自分がどうしたいかが分からなくなって

混乱していた時があった。

 

 


変えれない人は尖ってるけれど、

突出するまではけっこう苦悩がある

イメージがあって、


私はそこにいけないと早々に感じていたからこそ、


20代はめちゃくちゃ頑張って、

 

 

普通の人になろうとしていたなと思う。

(社会適合するために矯正していたかんじ)

 

 

 

それでも今思えば、

どこ行っても「浮いていたなぁー」と思うのよ(笑)

 


面と向かって言われることは

あまりなかったけれど、

 


「面白いね」とはよく言われたもんだ。

 

 


本人は至って普通だと思ってたけれど…

 

普通の人はしないなぁーということも多かったと思う。

 

だから、疎外感はよく感じていた。

今もほんとにある(笑)

 

開き直りつつあるけれど。

 

 

私の友人には
個性的で素敵な人はいっぱいいるんだけれど、


それでも私はやっぱりなんか違うんだよねーー

とよく思っている。

 

 

嘆きたくもなるから、

よく嘆いていた(笑)

 

 

だから自覚している3倍は浮いているんだと思う…

そういう生き物なのよ。

 

 

 

 

子供の時に、

ドラえもんの過去回を見たのが印象に残っている。

 


工場で作られる時に

ネジが1本抜けてしまったところをみて

 


そのあと、

多くの猫型ロボットが一斉に

訓練させられるんやけど

 


ドラえもんだけさ、

ついていけないわけ。

 


指定された道具をすぐに出せない

テンポが遅いとか…

 


とにかくほかの猫型ロボットのように

頑張ってるのにできない…

 


落ち込んでいるドラえもん

自分を重ねて涙が止まらなかったのを覚えている。

 


「私もこれやわ…」


と感覚的に思ったんよね。

 

 


学校に馴染めない私はそうだと思った。

 

(テンポが遅いのも、めっちゃ忘れ物したり、自分でも意味わからないミスをするのも

 


私だーってなった)

 

 


私は通常の黄色い猫型ロボットたちにはなれないどころか


今はなくなっちゃったけれど、

ドラえもんズみたいな


癖強いグループにいるタイプなんよなと悟った。

 

 


当時は自己評価が低過ぎて、

際立つ個性もないから


ほんとドラえもんに近いと思っていたよ…

 

(ほかのドラえもんズはほんと個性がそれぞれ際立ちつぎている)

 

 

 

22世紀でのロボットとしての

ドラえもんは落ちこぼれかもしれんけど、

 


まぁ、

私たち20世紀生まれの人間からしたらドラえもんってすごい存在なんやけれどな。

 


必要としてくれるところにいくことが

大事なんやなと思う。

 

(赤ちゃんだったセワシくんが偶然にも選んでくれたから、いい環境にはまったわけだわ)

 


ロボットとしては落ちこぼれでも

キャラとしては唯一無二で、


色も声も唯一無二なのよ。


そんで、愛されてるよね…

よいよねーー

 


しかも漫画のタイトルにまでなってるから(笑)

 

 

 

うまく生きれる場所に辿り着くには、

探すこともいるかもだけれど

 


捻くれて腐らないことと…

 


キャラ(人間性)が大事なんやろうなと改めて思った。

 

 

 

私も年々だいぶ変わっているということを

 

自覚できてきたのもあるけれど、

 

隠すことができなくなってきているから

土星の厳しさが緩んできている)

 

 

だいぶ生きやすくなってきていた。

 

小学生の頃の私に戻っているかんじがある。

 

 

今思えば、

ほんとにあの頃が一番

人のこと気にせず、マイワールドにいたと思う(笑)

 


人との関わりが少なかったから、

尖りまくっていたんやと思う。

 


嫌なことには耐えてたし、

マイワールドに逃げて、

スルーできていた。

 

 

ある意味強メンタルやなと思う時もあるんだけれど、

しんどかったのはしんどかった。

 


友だちいないようなかんじやったし、

孤独だったからね。

 

 

学校って、

それではいれない時ってあるやんかー

その時の苦痛はものすごかったと思う。

 

 

 

だから理想は、 

 

①周りと適度に上手くやりながら

 


小学生の頃みたいに

 

②自分に集中して

マイワールドで生きることだ。

 

 

両方できると

 

個性的であっても、

たとえ周りから浮いていても


かなり生きづらさは解消されていくと

思うのよ。

 


今の私は①はできているので、

人間関係のストレスはほぼフリーだし、

 

 

 

②を固めていっているところだ。


何度も自分に言い聞かせるように書いているけれど(笑)

プリンを冷やして固めている途中みたいなもの。

 

 

たとえ、①が厳しかったとしても

誰かしら協力者や理解者がいたら


成り立つんだろうなとも思う。

 

 

でも、

コミュニケーションはスキルやから積めば

最低限はできるんじゃないかなと思う。

 


私みたいな、変わり者だけれど周りから浮いていることを気にするようなタイプこそ

 


①からやって、


②を取り戻すのがだいぶ生きやすいんちゃうかなと思う。

 


私が辿ってきている道だから安全だなぁーと思っているだけだけれど。

 

 

 

そもそも

②が突出するくらいだったら、

 

活かせる場所を探さなくても

それこそなんか独自の道やってると思うんだよなぁー

 


私からすると超うらやましいけれど、

そうじゃないからなぁーー

 


それこそ、

周りのことなんて気にしない!くらいの人じゃないと辿り着けないんじゃないかなと思ってしまう。(思い込みかもしれないけれど)

 

 

明らかな才能や突出したものを持っている人って、


それだけで目を引いて

誰かしらが支援してくれるイメージなんよね。

恵まれてるのよ。

 


親がめっちゃ個性を認めてくれるとかさ…

 

 


私にはなかったからなぁー

自分も自信なかっなし、

信じてなかったしなぁー


だから、①を求め


人生の9割の悩みといわれる

人間関係の悩みをほぼ減らした上で、

 

 

今は②に取り組んでいるんだろうなと思う。

 

(10年くらい①をひたすらにやっていたかな)

 

 


だから今は、

小学生の頃みたいな感覚でいるけれど、


メンタルは安定しているよね、

そりゃーってかんじ。

 


安心感があるのが大きな違いだ。

 

 

 


理想をいえば、個人がどうこうせずとも

 

個性を活かせる、認められる社会がよいんだと思うんだけれど、

 


一人ひとりが自分と向き合って、

自分の個性を認めて、


マイワールドを生きていくことこそが

早いんじゃないかなと思う。

 

 

社会のせいにしててもしょうがないからな…

 

 

誰かのせいや環境のせいにするのは簡単だけれど、

 

解決に至らないから

私は好きじゃない。

 

 

 

それに私が「いいかっこしー」だから、

何かのせいにして諦めるのは

 

かっこ悪いから嫌だと思っちゃうんよね。

 


だから、

私は自分をまずやっていきたい!


時間かかることを許しながら…

 

 

 

個性を認めて、

至らなさは許して


愛のある世界である毎日を生きるのみ。