今までと真逆の目標

私の最近の目標は、


・「ちょっとした幸せ」を積み重ねること


・一瞬一瞬の感情を味わうこと


・よい習慣を作ること


・定期的に振り返りをすること


この4点だ!

 


地味で

刺激はないけれど


大切なことを

いかに積み重ねていけるか

 

をやっている。

 

 

 

生き急いでいた 20代と

真逆に振り切っていきたいんだけれど、

 

 

時々血が騒いで、

刺激を求めたくなったり、

 


かまってちゃんになったり

 


いろいろと暴走したくなるんだけれど…

 


感情をなだめて、

自分で自分のケアをして、

ゆっくり過ごすことに努めている。

 

 

ある意味これも修行だ(笑)

 

 

 

意識高い動画をみてしまうと、

どうしてもさ

 


「行動していかな!」

「学びにいかないと」

「人と出会っていかないと!自分から」

 

と焦りがちである。

 

 

特に、

人との出会いをとにかく

求めたがる傾向がある。

 

異様にね…

疲れるのにね(笑)

 

 

 

そういうことをやめてしまったら、

私は孤独になってしまうという


思い込みが強い気がする。

 


取り残されてしまうみたいな…

 

 

思っている以上に寂しがりなんだと思う。

 

 

だから、

自分を曲げてでも

相手に合わせてしまうのが癖になっていただろうし、

 


人のためになることを

しちゃうんだと思う。

 

 

(そうしないと私とつながる価値はないという思い込みが強かったと思う。自分に価値がないと人と仲良くなれないと思っていたんだと思う。)

 

 

 

人のためになることをするのは悪いわけじゃないけれど、動機がしんどいよね。

 

 

しかも、

自分からなんでも動かないといけない

と思っている傾向もある。

 

 

心の底には、


「誰も私のためには(能動的)動いてくれない」

 


という思い込みもあるんだと思う。

 

 


実際は

そんなことなかったけれど…

 

経験上、変なところに連れていかれることが

多かったから警戒しているんだと思う(笑)

 

 

怖いから自分から動いているんだろう。

 


人から誘われることが怖がっているんやわ(笑)

 

 


インスタをやっていた時も、

DMがいっぱいくるし、


ビジネス系の誘いも怖かったわけ。


(よかれと思ってその人は勧めてるんだろうけれどさ、「もうそういうのはよいです!」ってなった。)

 

リアルだとまだよいんだけれど、

ネットがとにかく苦手…

 

 

たぶん、

インスタが合っていなかっただけやなと思うけれどね。

 

 

一番たぶん苦手かもしれない。

表面的によいところだけみせて、

キラキラさせるかんじが。

 

 

リアリティが少なくて

でも夢をみさせてくるかんじ


きれいな世界しかみせない。

映えを気にする世界。

 

一種の

魔法の世界だよね(笑)

 

 

 

そこまでして

つながる必要はないなと感じたし、


変な人も多い…


それもあって、

誘われることに

恐怖心が強めにでるんだと思った。

 

マッチングアプリも同じくだ。

 


どちらかといえば、

SNSをあまりやらない人と

繋がりたいものだ。

 

 

インスタのアプリを

アンインストールしたら、

だいぶ心が安定して過ごせている。

 

 


1人で過ごす喜びを感じて、


自分を最優先にすることを意識して

 


(意識しないとどうしても他人を優先しがち)

 


自分のために必要なことを毎日やっている。

 

 

 

地味すぎて、

飽きそうになるけれど、

 

身体のケアはコンディションに影響するので、

 


・毎日けっこう歩いているけれど、腰痛がでなくなった。


・ヨガでポーズがとりやすくなった。

 

など

 

 

「ちょっとした変化」に気づくと

 

 

とても自己満足度が上がって

満たされるので続いている。

 


この生活を

コツコツと続いてどうなるのか

見ものだなと思っている。

 

 

 

心に響いて手帳にメモしてあった言葉

 


「毎日1%の改善が、

1年後には37倍の結果になる」

 


「人生は3年で変わる」

 

 

 

37倍…

そやったらストレッチしよか、

スクワット続けようか

 

と思ってやっている(笑)

 


20代は時間に追われていたから

バタバタしまくっていた。

 

 

それが当たり前だったから、

ゆっくりできなかったんだけれどね。

 

 

やっと

時間をかけること、

時間がかかることも許せるようになってきた。

 

 

人生まだまだこれからだから、

ゆっくりパートも楽しもうや!

 

というかんじ。

 

 

 

ロマンチックな夢の叶え方(笑)

フリーレンの映像をみながら、

 


「一生に一度、ああいうの体験したいもんだなぁー」とひとりごとを呟いていた。

 

milet「Anytime Anywhere」×「葬送のフリーレン」SPECIAL MUSIC VIDEO/フリーレンEDテーマアニメMV - YouTube

 

 

ヒンメルみたいな人に

指輪を贈られたい(笑)

 

 

 

なんて乙女チックなんだろうと

つっこんでいた。

 

 

 

この指輪の回を観た後に、

興奮して

 


親友(男)に、

 


「あれ!あれ(彼女に)やってくださいよ!男の人はみんなやったほうがいい!!!」

 

 

 

と半分ちょっとおもしろ感覚で

熱弁したら

 

 

 

「いや、俺はフリーレンのシーンをみたわけじゃないけれど、(指輪を買った時に)やったよ」

 


と言っていて

 


まじで???すごすぎると思った。

 

 

 

彼にとっては、

フルハウス」のシーンをみて

 


やると決めていたらしい(笑)

 

 

 

 


今日もまた動画をみてときめいた後に、

 


「こんなに身近にあれをした人がいるなら、

私にもいつか現れてもおかしくないよな?」

 


「ええ、そうだよ」

 

 

 

と1人で会話していた(笑)

 

 

 

実は、

 


意外とこういう恥ずかしい(乙女チックな)願望は、

 

 

 

ノートに書くと叶うことが

今までに幾度となくある!

 


言ってるだけでも叶う(笑)

 

 

 

世の中のロマンチック女子たちは、

ぜひ恥ずかしいかもだけれど書くのはほんとにおすすめ。

 

 

 

言ってるだけで叶ったのは、

お姫様抱っこ(笑)

 


いやいや、

現実にそんなことあんのかと…

 


驚いたよね。

 


よくぞ持ち上げましたと思うよ。

(私は太めの体型なのよ)

 

 

 

それはちょっとロマンチックだった(笑)

 


酔った勢いとはいえ、

すごすぎじゃない?と思った。

 

 

 

たぶん、

もうないんちゃうかなと思う…

どうだろうか。

 


いやでも、

がたいの良い人ならやってくれるかもしれない(笑)

 

 

 

その前の年に、

30人くらいでグループ対抗でゲームしたことがあった。

 


そのゲームの内容が、

 


チームの中で代表2名が、

お姫様抱っこして走る(室内だから短い距離だけど)

 


という過酷なゲームだったのだ。

 


3、4チームあったと思う。

 


私のチームが私以外男性で、

 


「ゆりさん、かつぎますよ。僕余裕ですよ」とかわいい年下男の子が言ってくれたんだけれど、

 


そんなことさせられない!やばい!

ほんとにやばい体重なの

(そのへんの男性のほうがスマートやん)

 


と全力でお断りした。

 


代わりに背が高いけれど細身の男性が抱っこされていた。

 

 

 

でも、

ほかのチームはだいたい女性が抱っこされていて(このゲームをなぜ作ったってかんじなんやけどね)

 


悲しい気持ちになった…

 


私以外の女性は細身or普通体型だった。

 

 

 

この時が一番

痩せてたらよかったなぁー

とつくづく思った。

 

 

 

 

 

 

そのあと何度か友人(男)に

 


「私もあの時やってもらったらよかったーー一生に一度ないやん!あんなん!悔しいー」

 

 

 

と言っていたのだった。大きなチャンスを逃してしまった(笑)

 

 

 

 

あとは、

「好き好き」と言われまくる

 


と書いてたら

数ヶ月後に叶って、

 


そのまんまやん!!!

 


私以外に

そんなこと惜しげもなくいう人おるんやー

 


と思って驚いた(笑)

 

 

 


まだ指輪のことは書いていないけれど、

書こうかなと思った。

 

ポイントは

 

ノートに書いたときでも

人に言ったときでも

 

 

何度も妄想して味わうこと(照)

 

 

 

私はときめき系を

叶えるのが得意だと思う。

 

 

なんていう、妄想力!

 

 

高台家の人々」という

漫画の主人公並みだと思う。

 

森本梢子最新作 『高台家の人々』1巻CM - YouTube

 

あそこまでぶっとんだ面白さ(あれくらいの妄想力がほしい。毎日楽しいと思うもんなー)

 

はないけれど、

 

ときめき系はけっこうリアリティを持って

想像できているんだろうなと思った(笑)

 

 

 

指輪が叶ったら即ブログネタ行きだ!

 

 

 

 

葬送のフリーレンカフェ

先日友人と

フリーレンカフェに行って

 


味わいまくった!!!

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メニューがどれも魅力的だった。

 


私は「ルフオムレツ」と

「メルクーアプリン」を食べるつもりでいたんだけれど、

 


めちゃくちゃお腹がすいた状態だったのと、

 


前日にグラタンを食べたのもあって

 

 

 

「頑張った戦士への贈り物」を食べた!!!

 

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(シュタルクが食べていたやつ)

 


映えは弱いかもだけれど、

めちゃくちゃ美味しかった!!!

 


見た目ハンバーグで

ボロネーゼパスタのようなかんじ+まわりにマッシュポテトもあるかんじだった。

 

サラダもついていて

健康的!!!

 

 

 

思った以上に美味しくて

 

 

 

大満足すぎた!

 

 

 

しかも、

メルクーアプリンも美味しかった。

 

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(おまけでついてくるフリーレンのカードがかわいい)


友人と語彙力が足りなくて

 


「思ったよりトロピカルなプリンやんね」

 


「わかる!南国なかんじ」

 

 

 

と言い合って笑った(笑)

 

 

 

マグカップは売り切れだったけれど、

それ以外は売っていて、

 


ステッカーセットと

アクリルキーホルダーを2つ購入した

 

 

 

ヒンメルとフェルンを引き当てて

テンション上がった!!!

 

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アクリルスタンドなら

ランダムじゃなかったから

 

 

 

リアルバージョンで

ヒンメルをゲットしたらよかったかなと思ったけれど、

 


全然満足だった!

 

 

 

とにかく想像より

 


ご飯が美味しかったのが

もう幸せだった…

 

 

 

1人で来ている人もけっこういたので、

 


2回行けるようにしとけば

よかったーと思った。

 

 

 

たまたま、

友人と薬屋とフリーレンの話で盛り上がった時に、

ネットで見つけて

 


梅田で開催があって…本当によかった!!!

「洗脳」は身近にあるよという話①

何かに属している限り、


意図があるかないかに限らず

 

そこでの「ルール」や「しきたり」が染み付いて、

 


それを疑わなくなって

当たり前のように感じている状態は、

 


強めな言葉で表現すると

「洗脳」だと思う。

 

 

 

29歳の絶望の淵で


脳科学を教えてもらっていた先生に

 


脳科学セミナーに行ったら、私ともう1人の人以外洗脳されてたんです。多いですよ」

 


とエピソードを聞いた時、

 

 

 

私もそれじゃあ

洗脳されていたんだろうな

 


ということが多々思い浮かんだ。

 

 

 

1つ目は

大学の部活動である。

 


私が入った大学の部活は、

 


文化部だったが、

めっちゃ上下関係が厳しかった。

 

 

 

 


いろんなルールやしきたりがあった。

 


•先輩に出会ったら挨拶をすること。

 


•先輩にはメールに絵文字、顔文字は使ってはいけない。

 


•練習を休む時には「理由」が必要。

 


•7月から10月までは演奏会の練習で土日は全部空けること。

 


•3回生が仕切っていくのだが、毎度4回生から反省会をさせられる。(重箱の隅をつつくかんじ)合宿は深夜に反省会させられ、その後に話し合いをしていくので寝不足になる。

 


•4回生になると神になる。(私たちはなってなかったけど)

 


•演奏会後の飲み会も接待みたいなかんじで、4回生に挨拶に行かないと怒られる。(私は当時コミュ症。行きたくなかったから行かなかったけど)

 

 

 

 

 

 

それが「伝統」だ大事だとなっていたし、

 


「社会人」になったら当たり前のことだと言われていたんだけれど…

 


社会人より厳しかった。

 

 

 

 


部活は、

ネットの口コミでみる「ブラック企業」に近いなと感じた。

 

 

 

もちろん給料がでないし、

部費や諸経費もあったからマイナスだから

 


余計に

理不尽なものだった。

 

 

 

心は病む。

 


たぶん「続ける」ほうがおかしかったなぁーなんて今となっては思うんだけれど、

 


同級生がよい人ばかりだったから、

それでやれていたんだと思う。

 

 

 

 


あれは「洗脳」といっても過言ではなかったな。

 


「厳しい環境は社会に出た時に役に立つ」

 


という理由をつけて

 


パワハラなことが正当化されていた。

愛は感じられなかった…

 

 

 

側からみたら、

 

 

 

「大変なところにいるのに、なんで抜け出さないんだろう」って思うんだけれど、

 


何かしら自分の中でメリットがあるから抜け出さないものだ。

 

 

 

当時の私は、

せっかくできた同回生の友人たちとの

縁が切れるのが

 


部活がしんどい以上に嫌だったんだと思う。

 


同回生がまともじゃなかったら

辞めていただろうな。

(みんな優しい人たちだった)

 

 

 

あとは、

どこかに所属している安心感があっただろうし、

 


役割があることで

 


自分の居場所的な要素があったんだろうと思う。

 

 

 

そんでもって、

「ここまでお金かけてきたしなぁー」というサンクコストもみていたんだろうと思う。

 


残りの時間よりも過ごしてきた時間が

なんにもならないことが嫌だったんだろうなってかんじだ。

 

 

 

 


【引用】サンクコスト効果

既に投資した事業から撤退しても回収できないコストのことで、埋没費用ともいう。 それまでに費やした労力やお金、時間などを惜しんで、それが今後の意思決定に影響を与えること。

https://www.nomura.co.jp/terms/japan/sa/A02367.html

 

 

 

私にとっては、

それでもよい思い出でもあり、

 


学ぶことが多かった経験ではあるけれど、

 


楽しい大学生活送ってもよかったのに

ほんと好んで修行していたなと思う。

 


もちろん、

もう戻りたくない(笑)

闇堕ち状態から生きやすくなった理由

ブログ記事を書きながら、

昔の自分を思い出していると


「私って大抵なんでも【人柄】しかみていないんやな」


と思った。

 


仕事も人間関係も恋愛も

 


全部…

 

 

 

騙されることもあるので注意は必要だが、

(その人がよい人でもその人自体が洗脳されている場合があるのよ)

 


それでも私は

ずっと「人柄」推し。

 

 

 

判断基準がそこだから、

 


人に恵まれているんだろうなと感じた。

 

 

 

今は

毎回「いい人やったらいいな」と

 


ドキドキしながら

 


条件や働き方重視で仕事を選んで

応募できるようになったけれど、

 

 

 

昔はできなかったなと思う。(ネガティブな妄想が繰り広げられていたはず)

 

 

 

どんな会社も入ってみるまで

分からないから怖いよね。

 


当たり外れ…あるよね。

 


最初の就活(就活でもなかった)

 


資格を大学で取った上で

 


(介護実習を長時間経験し、イメージもわいていた)

 

 

 

人手不足の「売り手市場」だったのがよかったんだと思う。

 

 

 

18歳の時は

コミュニケーションに自信がなく、

社会に出る自信もなかったからこその

 


大学選び、

学科選びがよかったなと痛感している。

(修行くらいの気持ちでいた)

 

 

 

 

 

 

私が「人柄」重視になったのは、

 


福祉系の学科に行ったことが

大きかったと思う。

 


今までの環境と全然違ったのだ!

 


基本優しくて思いやりのある人が多かった。

 


ほんとに

優しい世界だった…

 

 

 

福祉系の仕事って

どれも大変で、

「愛」がないとできないし、

 


それを大学でわざわざ学ぼうとするだけでも一般とは感覚が違うんだろうと思う。

 

 

 

こういう雰囲気が「当たり前」の世界がよいなという気持ちが募っていったから、

 

 

 

「人柄重視」になったんだろう。

 

 

 

そのために、

自分もそういう人でありたいと思っていた。

 

 

 

何度も転職をしているのだが

 


福祉以外の仕事をした時も、ありがたいことに優しい人たちに巡り会えた。

 

 

 

びっくりしたよ。

 


世の中優しい人って多いんだと思ったけれど、

 


大学生の頃から

年々その「思い込み」が深くなって

 


いつの間にか自分の中の

 


「当たり前」になっていったんだろうなと思う。

 


そういう人や環境を無意識に選んでいたんだろうとも思う!

 

 

 

面白いよね。

 

 

 

昔は、「世の中は怖いもの」「嫌な人はいる」という思い込みが強く、闇ばかりみていたので(笑)

 


そういう世界ばかりだったのかもしれんなと実感した。

 


極端すぎた…

 

 

 

 

 

 

ほんとに、私にとっての「大学」や「実習施設」「最初の就職先」みたいに

 

 

 

そういう「思い込み」を書き換える場があればよいんだろうなと思った。

 

 

 

個人的には福祉の雰囲気よい施設で

働くのはよいなとすごく思っている。

 


お年寄りの方々と関わることで

すごく癒されるし、

 

 

 

自分の生き方を考えさせられる場所だったと思う。

「無駄な経験」の活用法

ブログを書いていて気づいたこと

 


32年生きてきたことは

意外と「ネタの宝庫」だということ。

 


ただ、

アウトプットが苦手すぎて

忘れたままになっていることが多すぎた。

 

 

 

「記憶喪失」みたいになっているのは、

 


頭の中でぐちゃぐちゃすぎて

 


人生のメインのこと(というふうに自分でジャッジしていること)しか

 


引き出せないようになっているんだろうな

と思った。

 


そんでもって、

「役に立たないもの」ジャッジをして

 


封印しまくっているんだろうな。

 

 

 

その「役に立たないもの」に

 


判定されたことも役に立つ時がある。

 

 

 

それは

人と話す時の雑談である。

むしろその時しか使っていない(笑)

 

 

 

私はこれを多用して生きている気がする…

 


雑談だから、

何を話したかなんて毎度

覚えていないんだけれど

 


とりあえず楽しく話したり、

 


「同じことありますよ!」と共感したりするのに使っているんだと思う。

 

 

 

子どもの頃は

当たり前だけれど、

 


「経験」が少なすぎたし

視野が狭すぎたから

 


人とのコミュニケーションが

楽しめなかったんだろうなと思う。

 

 

 

 


年々楽しくやれているのは、

 


「役に立たない」判定した経験のおかげなのかもしれないなと感じた。

 

 

 

特にドジしたことは、

笑い話として需要はいっぱいある(笑)

 

 

 

本当によく起こるので、

 


そういう時もネタにして使って

なんぼだなと思っている。

 


私が出会ってきた「面白い人」たちの共通点は、

 


経験を面白く話すことに

長けていることだと思う。

 

 

 

私の中で一番面白い友人が、

 


「よく同じこと聞かれた時に

 


どうやったら

面白く返せるか悩みどころなんよねーー

 


関西人の血なんかな」

 


と言っていてハッとした!

 


やっぱり、

無意識に癖で

そういうこと考えてるんやな

 


面白い!!!と思った。

 


サービス精神旺盛すぎるやん、

 


ただ、

私もそういうところあるかもと思った(笑)

 

 

 

だから、

とりあえず

続々と体験して得た

個人的な「よかったこと」や「教訓」

 


笑い話になるようなことを

書いていこうと思う!

苦しくなる情報は「毒」

よかれと思って取っていた情報も

 


心が嫌になったり

違和感があったりしたら

 

 

どんなに他の人には有益でも、

世間一般的によかったとしても、

 


昔の私には必要だったとしても

 


みないようにしている。

 

 

 

3月、

ついにお盆休みに

子宮筋腫の手術することが

決まってしまった。

 


あー

やっぱりダメだったかー

 


「健康第一」といいつつも、

やっぱ甘くなること多かったし、

 


やっぱりまだまだ自己否定したり、

無理したりしていたもんなぁー

 


と思った。

 

 

 

まぁ、でも受け入れていこう!

手術までに自分のできることはやって、

 


再発しないように

習慣を変えていこうと思った。

 


そんな時に

「〇〇の病気が治癒しました!」

 


「〇〇が改善しました!」

 


という情報が入ってくると、

もうどうしても心の中で

 


「なんで私は…」

「私なりに努力したし、意識も変えてきたつもりなんやけど」

 


と比べてしまって

落ち込むことに気がついたのだ。

 

 

 

なんか、

負けた気持ちになったり、

 


自分の努力不足だと

言われてるみたいな気持ちになったりね。

 


(勝手に自分が思ってしまうだけなんだけれど)

 

 

 

悲しくなるし、

しんどくなるわと思って、

 


メルマガを解除したり、

人の成功体験をみたりすることをやめた。

 

 

 

今までは、

私には必要だったし、

ありがたいこともたくさんあったけれど、

 

 

 

ここまできたら、

自分の心には毒だなと思ったのだ。

 

 

 

毒を取り続けると、

ほんとネガティブなことを

考えてしまうのだ。

 


被害者的な気持ちになったり、

攻撃的な気持ちになったりね。

 


そんな気持ちになりたくないから、

 


無駄に

そんなことを思う私を責めたりするわけ。

 


双方によくない。

 

 

 

健康もそう、

恋愛系もそう、

ビジネス系もそうだ。

 


同じことをして同じ結果はでないし、

 


人によって出方は異なるのに、

 


それで比べて落ち込むくらいなら

みないほうがよいのだとわかった!

 


しかし、

その情報が悪いわけでもない。

 


ある人にとっては希望にもなるし、

 


過去の私にとっては新しい有益な情報だったのは事実だった。

 

 

 

だから、

情報の取捨選択は

その都度したほうがよいなと思った!

 


どうしても私は

 


「お世話になったから」

「相手のために」

 


みたいに思っちゃいがちなんだけれど、

一番大事なのは「今」の自分なんだよと

 


言い聞かせている(笑)

 


言い聞かせ大事。

 

 

 

長年、

自己否定感や

自己犠牲して他者優先することが

 


当たり前になっていたから、

 


無意識に

戻りがちなのよ。

 

 

 

私の中で修正をかけながら、

 


情報を取捨選択したら、

心が穏やかになって

 


すっきりした。

 

 

 

(インスタもアンインストールしている。

もうね、向いていないのよ。

あれは私には「毒」である。)