偽の「満足」は、変えられないという絶望感だった話

私は希死念慮

定期的に起きる。

 

それはもう発作みたいなかんじだから、


それ自体を

「あ、またでたな」と許しているし、

 


親友に、

「また、ふるべゆらゆら(呪術廻戦の伏黒恵)しかけたわー(笑)」

 


「ゴンさんになりかけた(HUNTER×HUNTERのゴン)」

 


と言って発散している。

 


発散させてもらえる友人がいるのは

本当にありがたい。

 

 

 

しかし、

去年起こったものは、なんだかテイストが違った。

 


いつもと違うかんじで

◯にたいっていうより、

 


「いつでもお迎えにきてください!

私はもう、満足です!」


と本気で言っていた。

 

 


この時は、やばいかもと思った。

 


これが「やり切っている」ってこと?

 


31歳にして人生に満足しちゃったよ。

 

 

本当に、

明日目覚められなくても

後悔はないというかんじだった。

 

 


私は基本的に未来志向で、

向上心の塊だと思っているのだが、

 


珍しく

すべてに燃え尽きたかんじだった。

 

 

「もっとこうしたい」という思いもなくなったのだ。

 

 

「私も、ここまでかーーー」

 

と思っていた。(31歳の戯言かもしれない)

 

 

 

 

 

しかし、

これはただ単に諦めていただけだった。

 

 

仕事が嫌すぎて、

3ヶ月やってみて合わなさすぎたのだ。

 

何度目の失敗か分からなくて

嫌になったのだ。

 


いろいろ学んできたし、

自分の性質を分かってきたつもりだったのに

 

また繰り返しちゃって、

 


結局やってもうたーーー

 

「なんて私は学ばない女なんだ!」

 

と恥ずかしくなった。

 

 

その上で、

「すぐ仕事辞めるなんて、申し訳ない」

 

という一般常識に囚われて

 


絶望的になっていた。

 

 


自分の中で

身動きが取れないかんじになったから、

 

諦め発言をしていたんだなと気づいた。

 

 

 

結局、

まだ耐えれるけれど、

この前いったらまた体調崩すと感じて、

 


突然仕事を辞めて、

ニートを1ヶ月して

 


転職したら、

「当時はおかしかったですよね(笑)」

 

と笑いながら話すまでに元気になった。

 

 

 


「合う合わない」はあるのを痛感したし、

 

 

世間にとってよい会社≠私に合う会社

 

だと認識した。

 

 

 

仮病でもよいから

すぐ辞めるに越したことはないなと思った。

 

 

制服を返しにいかないといけなくて、

 


その時にちゃんと謝りにまでいけたから、

それも本当にありがたかった。

 


行くまでは◯にそうだったけれどね。

 

 


良い人ばかりで、

憧れるくらいな先輩ばかりだったんだけれど、

私にはできるイメージが湧かなかった…

 

 

 

今までの私だったら

「私はなんてできないダメ人間なんだ!」

 


となっていたと思うんだけれど、

 


「背伸びしすぎたな。私にも得意不得意がある。合うところを探そう」と思えた。

 

 

すごく勉強にはなったから、

入らせてもらえてありがたかったなと思っているし、

 


結局、

普通のサラリーマンにはなれないことを受け入れざる得なかった出来事だった。

 


一般的な「普通」に

自分は当てはめることができないということが分かって、


その私を活かせるように場所を選んであげることが

 


大事だなと思えたのだ。

 

 

 

 

諦めている時って、

自分には何も変えられないと思って

絶望している時なんだと思った。

 

 


親の期待というか

親が喜びそうなこと

(ちゃんとした仕事につくこと)を選んでも

 


私には合わないなということも分かったし、


たぶん親は

別に気にしてないんだろうな

 

 

ということにも気づいた経験だった。

 

 

自分の中の勝手な囚われの感覚だったのだ。