私の年表

自己紹介がてら書いてみたけれど、

濃いなぁーと思った!

 

 

1991年の冬に生誕


【2歳】

2つ年下の弟が生まれる。

文武両道で、口達者。小学生頃から弟と比べての劣等感が強くなる。

 


【3歳-】

キリスト教カトリック)の幼稚園に入園。

今でいう「モンテッソーリ教育」で、自由に好きなことをしていた。


特定の人と遊ぶか

1人で遊ぶかというかんじ。

年齢が上がるごとに1人で遊ぶことが多かった。

恥ずかしがり屋で大人しい子どもだった。

(ただし負けず嫌いで泣き虫)

 

 

【6歳】

6つ年下の弟が生まれる。

年の差があるけれど、昔はよく遊んでいた。


公立の小学校入学

幼稚園と全然違う空気感で苦手だった。


嫌がらせやいじめなども多かったが、反発できる強さはなかった。とにかく忍耐タイプ。

 


勉強は好きだったが、

好きじゃない方が「一般的」なのか…


遠足や運動会、音楽会などのイベントごとが嫌いだったが、好きな方が「一般的」なのか…


そんなことを思って、


しまいには母に「学校が楽しくないなんておかしい。変だ」と言われて、


この頃に「私は普通じゃないんだ。変なんだ」と自覚する。

 


でも自分を曲げられなかった時期。

 


本を読めるようになって好きになり、

 

「偉人はだいたい変わり者だ。変わっているってことはよいことだ!」


と自己洗脳させていた(笑)

一番人目を気にしていなかった時期

 

 

【13歳】

祖父ががんで亡くなる。

初めての「人の死」で、

大好きだった人が亡くなって、

受け入れられなかった。


祖父の死後に遺産で祖母•母と叔父がもめて、従姉妹とも疎遠になった。


祖母や母の不満やストレスが感じられてしんどかった。


「裏切られた」「変わってしまった」という言葉がインパクト強くて影響を受けて


すっかり人の闇をみるようになってしまった。(闇堕ち)

 


母は愚痴ることを覚えてしまった。父は単身赴任でいなかったのもあり、これ以降私に躊躇なくしんどいことを吐き出すようになった。(私は愚痴吐きのゴミ箱だった。)

 

 

この頃は、

「アンフェア」というドラマにもはまってしまい、人の裏の裏ばかり勘繰ってしまったり、

 


ミステリー、サスペンスばかりみていた。

 


【15歳】

子どもの頃から行きたかった

(理由は祖父母の家から近いから)高校に

 


偏差値が少し足りないと現実を突きつけられて

大泣き。

 


頭がまあまあよいことだけが

自分の中の誇りだったけれど、

 


ここで一気に自己評価が地に落ちた。

(それ以外の価値を自分には見出せていなかった)

 


成績が落ちていくことに対して、

 

母の呪いの言葉

「女の子だから仕方ない(根拠なし)」もあったが、


それを覆すくらい頑張れない自分に憤りを感じていた。希死念慮が生まれたのはこの頃だった。

 


当時、2008年に世界が滅亡する説(ただの予言番組)を信じていて、頑張ったところで大学まで行けんよーと思っていたのもある。

 

 

【17歳】

高校2年生はきつかった。

多感な時期で人目が気になるけれど、人が怖くて最低限しか関われない。


ストレスでおかしくなっていたと思う。


倫理の授業で仏教の「四苦八苦」という言葉を知った時に、


自分の中の答えが見つかった気がした。

 


「生きていること自体が苦しみなんだ。だからしんどいんだ」と。

 


しんどいことが当たり前だと思えるようになり、

その頃に18歳から30歳までの私が自己洗脳していた


「人生は修行だ」マインドができた。

 

 

【18歳-】

「学校嫌いなのに、大学は行くの?短大でよくない?」と母に言われていたが、


一応進学校だったのもあって

大学に行くものだと思っていた。

 


「あんたは将来何になりたいの?なんの資格取るの?」という圧もあり、


消去法で福祉学科を選んだ。

 


希死念慮はあったけれど、

「どうせ◯ぬなら、人の役に立って◯ぬのがよい。どうせ私は将来孤独◯するだろうけれど、他の人がそういうふうになっているのは嫌だ。誰か1人でもその人のことを思っていたら孤独ではないと思う。」


という考えのもとだった。


こんなこと書いたら重たいから、

志望理由はライトなことを書いた(笑)

 

 

大学時代は忙しかった。


私が本来ゆったりタイプなのを忘れるが如く、授業、部活動に追われていた。

そこから20代はずっと走っていた。

 


コミュ症だったから、

新たな環境で人と出会ってなんとか

友達はできたけれど、

 


人間関係に悩むことは多かった。

(特に部活動は選択をミスしてまさにブラック企業並みの厳しさに病んだ。)

 

 

【22歳-】

特別養護老人ホーム介護福祉士として働く。

 

出会いを探しに行きまくる。(行動力が身につく)

 

思ったより早く恋人ができたが、

蛙化現象が起きて1ヶ月で別れる。

 

(自分のことが好きじゃないのに、好きって言われると「意味わからん!」ってなって嫌になっていた。幸せを受け取れなかった。)

 

【23歳】

とある飲み会好きの幹事と出会って、合コンを開いてみて、楽しさに目覚めてしまい、友人のために出会いを作ることをやりたがった。

 

仕事が忙しくなってきたことで、

男性アイドルに癒しを求めはじめた。(-26)

 


【24歳-】

軽度の鬱になり、休職して退職。

自律神経が乱れておかしかった。

 


2ヶ月休んだ後にすぐに

仕事を探し始めた…

焦っていたんだと思う。

 


まだまだ勇気がなくて、

結局同じような仕事に就くことになった。

 


小規模多機能型の施設で介護福祉士をしていたが、

 


半年後に「また同じようなをしてる。あれ、おかしい」と違和感を感じ始め、

 


またしんどくなって、

休んで辞めることになった。

 


こっからますますおかしくなる…

 

 

 

【26歳】

当時は自己啓発本

はまっていたこともあって、

 


友人に誘われて起業塾に入ることになった。

 


自分に自信がなくて、成長したい欲が強かったからだと思う。(あと、私は「人」に弱い)

 


極端な思考、

捉え方が強まって

 


軽度の鬱だったのに、

そこからハードな日々が始まった。

 


(よい子にはおすすめできない。のちに元マルチの団体だったと知ったけれど、なぜかそれでも抜け出そうなんてならなかったのだ)

 

 

【27歳】

好きな人と付き合えて、

お互い仕事ハードな日々だったが


幸せを感じていた。

しかし、すれ違っていき10ヶ月で別れる。

 

「好きが重たい」という言葉だけ拾ってしまって、「私って重たい女なんかもしれない…」と認識する。(そこから4年引きずる)

 

 

【29歳】

2つ下の弟が結婚すると母から聞く。

人生全般負けているというふうに捉えてしまって大泣きする。

+友人たちの結婚ラッシュ。

 


心身共にボロボロになり、

何ひとつ目に見えた形にもなっていないことに希望がみえなくなり、起業塾を逃げるようにやめた。

 


恋愛に逃げようとして、

当時よいかんじだと思っていた人と

突然音信不通になりトラウマができた。

 


下腹部の違和感から、

逃げていた健診を受けて、

数年で子宮筋腫が大きくなっていたことが発覚する。

 


たまたまブログきっかけで見つけた人の

オンライン講座に参加し、

 


脳科学占星術•心理学を学び、

自分と向き合う。

 


一人旅に出かける。

 

 

【30歳】

晦日に母の愚痴吐き

(被害妄想や私への期待や愚痴)がひどく、

子どもの頃から我慢していた分も含めて爆発してしまい、涙が止まらなくなった。

 


やっぱり起業の夢が諦められなくて、

普通のカウンセラーの起業塾に入ってみた。

 


またハードな日々が続き体調が悪化。

 


求められる理想が高すぎて、1割の人しかついていけないかんじの詰め込みで、

 


同じ塾生同士の人間関係の板挟み、

塾生の方の悩みを聞いてしまって、

 


全員が「母」みたいでしんどくなった。

 


祖母が亡くなり、

母と向き合うことができ、和解できた。

 


仕事も辞めてしばらくお休みした。

 

 

 

【31歳】

期間限定派遣で働いていて、

次の仕事を紹介してもらえたのだが、


合わなくて3ヶ月で辞めた。

 


「一般」の人のような働き方はもうできないのだと感じて、諦めた。

 


1ヶ月ニート

(もう何度も休んでいるから、開き直り罪悪感が少なくなった)

 


今は午前•午後とそれぞれ別の仕事(直行直帰)をしている。

 


マッチングアプリに手を出すが、全然上手くいかずに1年経過。たまたま出会えたらすぐに付き合えた。

 

 

【32歳:現在】

恋人が人生のトラブルに見舞われ、

「私に使える時間とお金と心の余裕がない」ということで3月に振られる。

 


世の中ヘビーな人生を送っている人がいるんだなということを知った。

自分なんてまだよいほうなんじゃないか(昔はともかく今は平和)と思ったし、

 


「私って、実はよくやってきたんじゃないかか?」

 


と自己認識が変わりつつあるところ。